今日は、言葉のねじれと論理的文章について書いていきたいと思います。
言葉のねじれ
最近、大学で、法律の論述やレポートを書いたり、塾で国語を教えていたりする時に感じるのですが、日本語って、すごく難しいですね。
小学生の時に、一応は国語で、日本語の文法を習ったけど、大して重視してきてなかったなと自分自身反省しています。
大学のレポート添削で、インストラクターの方から、言葉のれじれを指摘されることがあります。日本語の「は」「が」「を」「の」を使い分けするのって、意外と難しいんですよね。
普段、みんな出来ているようで出来ていない人は多いと思います。
後は、主語と述語がきちんと書けているか、指示語や接続語が適切に使えているか、結構できていない人はいるんじゃないかと思います。
教育の重要性
タイムリーな出来事で、うちの母のLINEを見ると、結構、めちゃくちゃで主語が抜けていたり、述語が間違っていたりします。笑
身近に非論理的代表みたいな人がいるので、反面教師なのか自分はそうならないようにしようと日々心がけています。
多分、親世代が学生の頃は、今ほど論理的思考について、教育されていなかったんじゃないかと思います。
法律の勉強をしていて思うのは、論理的思考は、訓練すればある程度身につくものだと感じています。
感情をそのまま言葉や文章にしてしまう人
非論理的思考の人は、感情をそのまま言葉や文章にしてしまうため、会話が上手く伝わらなかったり、文章が上手くまとめられなかったりするのだと思います。
私も出来ていない時がありますが、何か言ったり、書いたりする時は、一度考えて、自分の考えや言葉を見直すのも大切ですね。
頭の中を上手く整理できる人が論理的思考力が高いのではないでしょうか。
人間関係のトラブル
よくLINEでのトラブルがあった話を聞きますが、これは正に非論理的思考が原因だと思うんですよね。
先程も言った通り、LINEの文章に主語がなかったり、逆に相手の書いた文章をきちんと読んでいなかったりすることで、文章が違った形で伝わってしまう。
これが、誤解を生みトラブルへと発展していってしまう。
後は、人の話をよく聞かない人や頑固な人もトラブルになると思います。
人の話を聞かず早とちりしてしまったり、考えが独りよがりの狭い思考になってしまったりするからです。
論理的思考の重要性
こう考えると、論理的思考って、文章を書く上でも重要ですが、人が社会で生きていくためにもすごく重要なんだなと感じます。
しかし、世の中には、うちの母のように非論理的思考の人も沢山いると思います。
そういう人達といかにうまく付き合っていくかが課題ですね。
関わり過ぎてもこちらが疲れて疲弊してしまうし、全く関わらないのも不可能だし、程よい距離感を保っていくことが大切なのかな。
そして、改めて思うのは、法学部にきて論理的思考について学べたことは、自分の財産になったなということです。
メタ認知力
後は、最近、身につけたい力としてあげられるのが、メタ認知力です。
メタ認知力を身に付けると、自分を客観的に俯瞰してみることができるようになると思います。
普段、生活していると当然大変なことや落ち込むこと、悲しいこともあります。
そんな時に、メタ認知力があれば、その場面を客観的に冷静に判断でき、自分自身が楽に生きる手助けになると考えます。
まとめ
まだまだ、未熟な人間なので、思うようにいかないことも沢山ありますが、色々なことを勉強して知識を得ることで、毎日が楽しく生活できるようにしたいです。
そして、自分が得た知識を今の子供たちに少しでも還元して社会貢献できたらなと思っています☺︎